2013/02/27

テシタル地上派039 佐和山城

「ジパンク」大阪公演も間もなく終了。ここまで無事に、いや、色々あったんですが、とりあえず無事に続けてこられました。あと僅かな残りもこのまま無事に終えたいものですね。



さて、以前載せましたこの写真








はどこなのか? ずいぶんと前の話なので忘れているかもしれません。私も忘れていました。忘れていたので、今頃になって書いています。でも、「ジパンク」公演中には書いておきたかったのですよ。

なんか鬱蒼とした山からの景色ですが、その通り、鬱蒼とした山に行ってきました。
その山の名は佐和山。
昨年夏に上演されたリリパット・アーミーII「傀儡女〜時の男最終章」の大阪公演の後、翌日は東京に帰るだけだったので、大阪の実家にチラッと寄った後に新幹線を途中下車して行ってみましたよ。そう、あれは真夏でした。今は真冬ですけどもね。

佐和山というのは彦根駅の東にある山。新幹線を米原で降りてJR彦根駅に移動しましょう。彦根は二度目。以前、ひこにゃんに会うために来て以来です。あの時はひこにゃんにも会ったし、彦根城にも登城しましたが、今回はその辺りは全て無視して佐和山オンリーで行ってきました。

JR彦根駅(近江鉄道彦根駅も同じ場所にあります)の西側は拓けていて、彦根城はもちろん、官公庁も観光街もあり(ココ、かんこうで韻を踏んでいます)、とにかく綺麗で賑やかな雰囲気があるのですね。
しかし、東側は一転して何もありません。巨大なロータリーとケーズデンキがある以外は閑散としています。いかにも裏側って感じです。しかし、今日はこの裏側に用事があるのです。
まずは駅舎から見た佐和山をご覧頂きましょう。


















しかも、ココの窓にはこんな仕掛けがありました。


















そう、佐和山には佐和山城があったのです!
大一大万大吉は石田三成の陣幕紋です。

佐和山城と言えば中世から戦国期に存在した城で、「シレンとラギ」で古田くんが演じたキョウゴクのモデルとなった佐々木(京極)道誉の先祖である佐々木氏が築いたそうです。西に琵琶湖の水運を、東に中山道、北に北陸道の陸運を見下ろす、要するに西日本、東日本、北陸の結束点となる土地で、その重要さから戦国期には争奪戦が繰り広げられたのだとか。
なので豊臣の天下となってからも重臣が代々の城主となっており、そして最後の城主が石田三成なのです。

え? 最後の? そうなのです。廃城されたのです。
徳川時代になって重臣・井伊直政が城主となりましたが、三成の居城だったことを嫌い、少し琵琶湖側の低い彦根山に彦根城を築き、佐和山城は徹底的に破却されてしまったのです。
城の建物や門、石垣などは彦根城やふもとの寺院などに一部転用され、佐和山城は跡形もなくなってしまいました。佐和山藩も彦根藩と改名され、江戸時代は佐和山に立ち入ることすら禁じられたそうです。そうなると山は荒れ放題。今では天守閣どころか他の遺構も石垣も登城道も城下町すら判然としなくなっています。

彦根駅東口から佐和山城方面と思われる道を進むと、所々に案内板があります。


















20分ほど歩くと井伊家の菩提寺・龍譚寺(りょうたんじ)に辿り着きます。














龍譚寺のあたりには佐和山城についての解説板などもあります。




龍譚寺の入り口横には石田三成像などもあります。


















佐和山城の登城道、また城下町等は東側の近江電鉄鳥居本駅だったようですが、現在は搦め手に当たるこの龍譚寺側からの方が登りやすいようです。境内の一番奥から佐和山登山道が延びているのですが、これがまたタダの山道!



















ええとね、歴女のお姉様とかが三成詣でのつもりで登ろうと思うと後悔しますよ! ハイヒールはおろか、パンプスとかでも駄目です。スニーカーが精一杯。もしくは登山靴。本気の登山のつもりでないと無理ですからお気を付けて!

山頂には佐和山城跡の碑があり、


















大変見晴らしも良く、ここに天守閣があったらさぞや大事な城になっていただろうと思われます。

でも、現在では跡形もありません。ただの野っ原です。江戸時代の三成への恨みが感じられます。














そんなこんなの佐和山登山記。もし登りたい方がいましたら、くれぐれも覚悟してお登り下さいね。